@phdthesis{oai:tsukuba.repo.nii.ac.jp:00008071, author = {立石, 拓也 and Tateishi, Takuya}, month = {}, note = {本論文は、19世紀ドイツの芸術家リヒャルト・ヴァーグナーのライフワークである舞台祝祭劇《ニーベルングの指輪》(以下《指輪》と略す)を研究対象に、今日のヴァーグナー研究の一般的な理解が、二度の世界大戦においてショーヴィニスムと結託したこの作品のゲルマン的な属性の否定ないしは過小評価に傾いている構図を指摘し、その構図がヴァーグナーを社会的・政治的なイデオロギー論争から解放することに繋がらないという認識をテクスト解釈から明らかにすることを目的とする。 本論文独自の用語として最初に断っておく必要があるのは、<民族主義的>なヴァーグナー解釈(受容)、そしてその反意語としての<脱民族主義的>なヴァーグナー解釈(受容)という概念である。ヴァーグナーの場合、<民族主義的>という形容詞は専ら、最終的にナチズムが行ったような、ゲルマン・アーリア的属性の強調を指す場合に用いられることがほとんどである。ナチス・ドイツの崩壊後、<民族主義的>なヴァーグナー像はその生存権を失った。今日ヴァーグナー研究者の多くは<民族主義的>ヴァーグナー解釈を可能な限り退けようとするが、そうしたメンタリティを本論文では<脱民族主義的>と呼ぶことにする。 本論文で証明しようとする仮説は次の2点である。まずひとつ目の仮説は、<脱民族主義的>解釈に立脚するヴァーグナー研究者は、ナチズムが行ったような民族的な属性を強調するヴァーグナー解釈に対して否定的な態度をとることにおいて共通していることは先に述べたが、これはヴァーグナーの作品や芸術理論の客観的な分析から導かれた<事実>というよりも、むしろそうあってほしいという希望的観測が彼らの判断の根拠にあるのではないかということである。もうひとつの仮説は、<脱民族主義的>ヴァーグナー解釈が<民族主義的>なヴァーグナー解釈と比較して今日の社会で説得力を持ちうるのは、彼の芸術を取り巻く時代環境が変化したからではなく、彼の作品の中に<脱民族主義的>な解釈を可能にする決定的な要素が内在しているからではないか、ということである。 本論文では3つの章を設ける。以下、序章と結論を除く各章の具体的内容に言及する。, 2002}, school = {筑波大学, University of Tsukuba}, title = {《ニーベルングの指環》における脱民族主義的解釈の批判的考察}, year = {2002} }