@article{oai:tsukuba.repo.nii.ac.jp:00054094, author = {市川, 加那子 and ICHIKAWA, Kanako}, journal = {芸術学研究, Tsukuba studies in art and design}, month = {Dec}, note = {本稿では、小倉遊亀の金属箔を用いた作品にみられる絵具の塗布方法と、金属箔に絵具を塗布したことで得られる効果を示すことが目的である。筆者は金属箔と胡粉や淡い色彩の岩絵具が重なることで生まれる色や輝きに魅力を感じ自身の日本画制作に取り入れている。本稿で着目する小倉遊亀(1895?2000)は、戦後を中心に金属箔の地を用いた制作を行っており、遊亀の言葉や作品評から、遊亀は画面上の金属箔の色や輝きの表出を考え、絵具を塗布していた日本画家の一人であることが推測された。筆者は胡粉とプラチナ箔を使用して余白を表現した《舞妓》(1969)をはじめ、遊亀の言葉が多く残る院展作品を中心に、遊亀の行った方法と効果について考察を行うことで、胡粉を多用する自身の表現にも還元できるのではないかと考えた。遊亀の作品を見ると1965 年頃までは、金属箔を月光の表現、背景や描写の下地に用い、絵具を均一に塗布する方法や、筆致を残しながら塗布する方法を行っていた。1966 年以降は、それまでの方法も引き継ぎながら、金属箔の上に絵具を薄く丁寧に重ね、その重ねた絵具を、水を含ませた刷毛で取り除く方法も行われていた。《舞妓》では、プラチナ箔地の上に胡粉を塗布した後、画面左上の胡粉を刷毛で取り除き、プラチナ箔を表出させていた。遊亀の言葉から、その意図は、プラチナ箔の銀色を「鼠色のトーン」として表出させ、画面に「暗い所」を表現することであることがわかった。「銀色」は、月や月光をはじめとした白く輝くモチーフや光の表現と結びついてきたが、遊亀は胡粉の白色との対比によって、プラチナ箔の銀色を、画面の中で「暗さ」として見せる手法を用いていたことが明らかとなった。, 著作権保護のため、すべての掲載図版に墨消し処理を施しています。}, pages = {1--10}, title = {<論文>小倉遊亀の金属箔を用いた作品にみる絵具の塗布方法とその効果について}, volume = {24}, year = {2019} }